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水たまり旅行記

  

 

 (タッチかクリックで各章にとびます)

一章      海の図鑑  

二章      水たまりの中へ  

三章      貝がらの家  

 

 

一章 『海の図鑑』

ばばばばばっと雨が窓をうっていた。雨水が滝のようにガラスを伝っている。

てつおはいすに座ってぼんやり外をながめていた。家のまわりはすっぽりと霧のような白いもやでつつまれている。道路は水であふれかえり、部屋の中は、まるで広い海にぽつんと浮かぶ小島のようだ。

 こういう大雨はてつおは嫌いじゃない。こんな時、わざと家から飛び出してわっ!  冷たい! と、ずぶぬれになりながら、水びたしの道をばしゃばしゃ走り回るのは楽しいし、流れの速い川を、大きな木が、まるでマッチ棒が流れるように流れていくのを遠くからながめて、あの木にしがみついていれば、海までいけるだろうかと想像するのも面白かった。

 それに、雷が鳴る夜は、ぎゅっと布団にくるまって、次はどこへ落ちるだろうと、胸を高鳴らせながらじっと外を見るのも好きだった。

 でも、三日も降り続くとなると話は別だ。

 梅雨に入ってからというもの、雨はほとんどやむことなく降り続けていた。そのせいか、窓際のシクラメンの鉢の土は、ぬれたように湿っている。

 外はいよいよ嵐となって、鉄砲玉のような雨が風にあおられながら、激しく地面をたたいていた。

 ガチャン!

 突然、植木ばちが割れるような音がして、てつおは思わず立ち上がった。イスがかすかにカタッとゆれた。てつおは、窓に鼻が当たるくらい顔を近づけると、暗い道路をのぞきこんだ。ヒュウウウと風の音がなり、動くものは何もない。

 てつおは、しばらくあちこちに目をやったが、やがて窓から顔をはなした。

するとどうだろう、部屋の中はすっかり散らかっていた。床の上には、遊んでいたおもちゃやぬいぐるみが転がっていて、読みっぱなしの本は、読みかけのところでページが開いたまま、それどころか、ズボンやシャツも脱ぎっぱなしだ。

 てつおは、自分のことながら、あきれてしまった。

(どうしよう。片づけようかな)

 てつおはしゃがみこむと、鉄道機関車をつかんで走らせた。機関車は、ギッギッギッと走って、黄色のビー玉をはねのけ、つみ木に当たって止まった。部屋のすみにはサッカーボールが転がってるし、このままじゃとても布団を敷けない。

 てつおは、仕方なく片づけることにした。

 手始めにイスを机の下にいれると、かいじゅうのおもちゃやけんだま、それにおめんなんかをおもちゃ箱にしまっていくが、部屋はなかなかきれいにならない。

「まったく、部屋ってなんでちらかるんだろ。ちらからなけりゃ、片づけなくてすむのに」

てつおはぶつくさ言って、ウサギのぬいぐるみをひろいあげた。

「てっちゃん、おやつよ。 おだんご!」

突然、ろうかの向こうからお母さんの声が聞こえてきた。

(だんご? だんごだって?)

団子はてつおの好物だ。てつおは、ぬいぐるみをひとまず机の上に置くと、散らかったままの部屋を後にして、ろうかをはさんで向かいの居間に向かった。居間はうす暗かった。おかあさんは、すわって団子を皿にうつしていたが、てつおに気がつくとふり返った。

「おばあちゃんが作って持ってきてくれたのよ」

「そうなの」

てつおは、お母さんのそばに座ると、だんごののった皿をうけとった。たっぷりきな粉がまぶしてある。てつおは、お母さんからおはしを受け取ると、だんごをきな粉の上で転がした。

「なにしてたの?」

「かたづけ」

てつおは、団子をパクッと口に入れた。

「かたづいた?」

「まだ。僕の部屋、うんとちらかった。ものすごいんだ」

 すると、お母さんはおかしそうに笑った。それから、コップにお茶を注ぐと、渡してくれた。てつおは、受け取るなりごくっとのんだ。

「おばあちゃん、いつきたの?」

「ちょうど、てつおが昼寝してた時よ。いちごもくれたわ」

「そうなの。ちぇっ! 昼寝なんかするんじゃなかった」

「でも、用事があるからって、すぐ帰っちゃったわよ」

「ふーん。なーんだ」

てつおは次々に団子を食べて、食べて、食べてしまった。

「ごちそうさま」

 てつおは皿を片付けると、片づけの続きをしに部屋を出た。かたづけはなかなかはかどらなかった。それというのも、ちらかったものをかたづければいいだけなのに、もっときれいにしたいと思ったばっかりに、ひきだしのものを全部出したり、本だなの本を一冊残らず机の上に積み上げたりしたからだった。てつおはとうとうかたづけを放り出して、イスの上に座った。てつおは、机の上でじっとこちらをみているウサギのぬいぐるみと、ふと目があった。てつおは、ウサギをつかんだ。そして、こんどは床に転がっていたさっきの黄色のビー玉をひろいあげると、面白半分にウサギの着ている青いジャケットのポケットに落とし入れた。

 

カチッ。

ビー玉が何かにぶつかる音がして、てつおはおや? と思った。中に何か入ってるんだろうか。

てつおは、ぬいぐるみを逆さにした。すると、黄色のビー玉と、小さな木の棒がいっしょに落ちてきた。なんだろう……と、つまみあげてみると、すぐにわかった。なくしてしまったはずの、おもちゃの船のオールだ。

てつおは、オールを見ていると、ふと、あの部屋のことを思い出した。

(そうだ、確か、あの部屋にしまってあるはずだ。)

 あの部屋というのは、二階の一番奥の部屋のことで、その部屋は日当たりも悪く、もうずっと長い間使われずに、物置のようになっていた。そして、その部屋の押し入れの中に、昔遊んでいたおもちゃがたくさんしまいこんであるはずなのだ。

雨は、いつの間にかしとしと降りになっていた。てつおはウサギを置くと、さっそくろうかに出た。

 

階段を上がりきると、てつおは、うす暗い、細い細いろうかをのぞきこんだ。部屋が二つあって、そのさらに奥の方に、あの部屋のドアの小さな取っ手が見える。

(あそこだ)

てつおはドキドキしながら、その小さな取っ手を見つめた。でも、どうしてドキドキするのか、てつおにはわからなかった。なんとも不思議な感じだ。雨が降っているせいだろうか……。

てつおは、ひっそりと部屋の前まで来ると、取っ手をつかんだ。さびて、ザラっとしている。てつおはゆっくり取っ手をまわして引っ張ると、扉はきぃーっと小さな音を立てて開いた。部屋はまるで森の中のように暗く、ひっそりとしていて、ろうかから差し込む細い光に照らされて、ホコリのつもった古いラジオが転がっているのが見えた。

てつおは、ドアを開けたままにしておくと、物をふみつけないよう、探り探り窓の方へ歩いて行った。暗い中をようやく、窓のそばまで近づくと、てつおはソファーにひざを立てて乗り、厚いカーテンを開けた。

わずかな光が差し込んで、部屋は息を吹き返したように明るくなった。てつおはホッとすると、部屋の中を観察した。

左のかべのソファのそばには、穴の開いた靴や、壊れた扇風機、白いシーツや古い虫取り網があって、部屋のあちこちに段ボールがいくつも積んである。そして、てつおの右側には、押し入れがあった。

てつおは押し入れがよく見えるよう、もう片方のカーテンを開けた。雨は、まだしとしと降っている。ソファを飛び下りると、さっそく押入れの前まで歩いて行って、押し入れのふすまを開け、順々に、アルバムの入った箱や、ラジオカセットの入ったケース、緑の大きな旅行かばんなんかを引っ張り出していった。すると、とうとう、てつおの探し求めていたおもちゃ箱が見つかった。

(これだ、これ!)

てつおは、箱を大事に両手でかかえると、そっと床に置き、ふたを開けた。中をのぞくと、なつかしい、赤い小さなミニカーや、変な形をしたブロック、小さな狐の置物や、段ボールで作った剣、手で回せるこま、ロボットなんかが、いっしょくたに入っていた。   おもちゃを少しずつ出していくと……ああ、あったあった! 小さな帆船だ。

 

てつおは折れた帆を直すと、さっそく船を床に置いた。するとたちまち、船はとぷんと床に沈みこみ、船は潮風を受け波間にゆれた。

(海賊船にしようか? それとも、客船にしようか?)

 どちらも面白そうだった。実のところ、この船は海賊船にも客船にも、漁船にも潜水艦にも、時にはボートにも、そして一番人気のある空飛ぶ船にもなった。

 そして、海賊船なら、死のどくろ号、空飛ぶ船なら虹と星号というように、その都度名前もかわったが、乗組員も船長も変わらなかった。五人の乗組員たちは、海賊船になれば宝を求め、酒を飲む荒くれどもになり、客船になれば、賢くゆうかんな男たちになるのだ。こういう具合に、乗組員たちはいろんな風に変わっていったが、やはり船長であるクロテッツ・オッドバーグ船長その人だけは、海賊船に乗ろうが、漁船に乗ろうが、卓越した操縦技術と精神力で、何度も様々な危機を乗り切っていたのであった。

 

 さて、てつおは、久しぶりの船出は、白波号に決めた。白波号は、客船でも漁船でもなく、ましてや空飛ぶ船でもなかった。白波号は冒険を愛する自由な船だ。そこには、なにものにもしばられることのない自由な男たちが5人乗っている。船長はもちろん、クロテッツ・オッドバーグ船長だ。

 

 

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「風が出てきたぞ。帆をはれ!」船長がさけんだ。たちまち甲板の上の男たちは帆をはった。白波号は順風満帆、白波を立てながら、勢いよく走り始めた。

船は次第に、セプキ島に近づいていった。セプキ島は、船乗りなら知らぬ者はいないというほど危険な島だ。なにしろ、島の中央の山は雲を突き抜けるほど高くそびえ、いつも激しい風がふきつけているのだ。もし白波号が近づこうものなら、船は横倒しに倒れてしまうだろう。船長は双眼鏡でセプキ島をながめた後、仕方なく上陸をあきらめ、群島の間をぬうように船を走らせ、探検し始めた。

すぐに見えてきたのは、ボボ・ローグッツ火山島だった。この島は、二つの火山がつながったようにくっついていて、年がら年中噴火するもんだから、植物はほとんどはえておらず、地面は、泥のように真っ黒な溶岩が固まってできたものだった。

まったく何もない、へんぴな島だ。船長は、いつもなら、こんな危険極まりない島に上陸するのはごめんだったが、今は違った。これ以上、乗組員たちにおくびょう者だと思われるわけにはいかないのだ。

「上陸するぞ!」

船長は、船員たちが驚くのをよそに、島に向けて舵を切った。

「やめなされ!」ムムベが止めに入った。

ムムベは、白波号一番の古株、オッドバーグ船長の父、オブ船長のころからの乗組員で、正式な名を、テテツ・オク・ムムベといった。ムムベは、アジアの小島でオブ船長と出会ってからというもの、ずっと旅を続けていた。そのためか、ムムベの体には至るところに擦り傷があり、顔には深いしわが刻まれていた。そして、その古いしわが、彼の勘と助言がたいてい正しいことを物語っていた。

船長は、ムムベの顔を見て、わずかにためらった。だが、気を取り直すと、落ち着いた声で言った。

「私が行くと言ったら行くのだ」

船が島の入り江に入ると、ムムベの心配をよそに、錨がおろされた。

一同は、上陸した。

「まったく、何にもないところだ」

船医を兼ねていたマルテ・ツオールが、石ころを足で軽くつついた。

「風、なし。天気、はれ。人影、なし。動物、なし」

船員の一人、モルデッツ・オルグラントが、メモを取った。オッドバーグ船長は、だれにも気を留めず、さっさと火山めがけて歩き出したので、乗組員は慌ててその後を追った。

半時間もしないうちに、船長は火口にたどり着くと、そこから、すっぽりと開いた穴の中で溶岩がわき立つのを、じっと見下ろした。

「おっかないもんだねえ、え?」

ムムベが同じようにのぞきこんでいったが、船長は何も答えなかった。昔、オブ船長に聞かされた、海賊の宝箱のことを思い出していたのだ。それは、こんな話だった。

 

 

「いいか、オッドバーグよ。海賊ってのは、そんなに頭はよくないが、宝のこととなると話は別だ。やつらは、宝をかくすとなると、必死で頭を働かせるもんだ。俺が海賊だった時もそうだ……。まあ、そんなことはどうでもいい。かんじんなことは、俺が、海賊はどういうところに宝をかくすか知ってるってことだ。まず一つには、へん、これが一番面白くなくて、一番ありきたりで、一番馬鹿な奴がすることだが、どこかの島に埋めて、その場所の地図を作って、目印をその地図に書き込む、それでもってその地図を肌身はなさず持っていると、こういうわけさ。まったくばかな話だ! そんなことして何になる? 地図を作ったやつらはみんな、寝ている間にそいつをとられるか殺されるかして、それでおしまいになる。ああ、あわれなグッコルよ……。

 もう少し頭のまわるやつは、宝を持ってるなんてそぶりは全然見せない。そう、これがかんじんなことだ。そして、だれも見ていない時に、自分だけしか知らない、秘密のかくし場所にかくす……。そうだな、たとえば、滝の裏側とか、火山火口より少し下に横穴をほるだとか、森の奥深くの、大きな木のうろに入れるとか……。

 だが、これだけじゃあ、まだあまい。もし秘密がばれて、何もかも白状させられたら、宝は横取りされちまう……いいや、いかんいかん! なによりかんじんなのは、その場所に行けるのは自分ひとりだけ、箱にさわれるのも自分だけ……というふうにすることだ。そのためにゃ、罠をいくつも仕掛けにゃならん。もちろんな。だが、そうすりゃ、裏切り者の海賊が宝を見つけても、あわれそいつは罠にかかって死んじまう……というわけさ! 

さて、おれの知ってるある海賊の船長は、仲間に裏切られ、宝のありかを白状しちまった。その船長は、群島の中の火山のどろどろの溶岩が見える火口から少し降りたところにある穴を見つけて、その穴の中に宝を隠しているという。裏切り者どもは、船で祖の群島へ向かうと、船長を先に歩かせ、その火山の火口までやってきた……いつ噴火するのかわからねえ危険な火山だ。

裏切り者の一人が、その火口におりて、穴に入っていき……そして、宝はすぐに見つかった。ところが、だ。宝箱を開けた途端……ギャー! バタン!  ざまあみやがれ!男は死んでたおれた。箱には、ふれると死ぬ毒がたっぷり塗ってあったのよ!

 男の叫びを聞いて、裏切り者どもは、男が死んだことを知った。そこでようやく船長は、箱には毒がぬってあり、その解毒薬を持っていることを明かしたのだ。

裏切り者どもは飛びついて、その薬をうばおうとした。ところがどっこいそうはいかん! なんせ、船長は薬を持ったまま、火山の火口ぎりぎりに立っていたんだからな。船長が死ねば、宝は永久に手に入らない。裏切りどもは、仕方なく船長の言うとおり、船長一人を穴へ向かわせた。

 さて、船長ははしごを下りてしまうと、なんてことはない、そのはしごを燃やしてしまった。万が一にも、追手が来ないようにするためだ。

だが、持ってあがるときはどうする? 裏切り者たちはそう考え、あわてふためいたが、船長はまるで気にしなかった。そして、持ってきていた薬を手に塗ると、箱を持って悠々と穴の奥深くへ歩いていった。なぜなら、きいて驚くな、その穴は、自然にできた穴で、海まで続いていたからよ。

船長は、裏切り者どもがさわいでいる間に、やつらと一緒に乗ってきた小舟に乗り込んで、その島を後にした……。そして、裏切り者どもを何にもないその島へ置いてけぼりにしたまま、近場でもっと信頼できるやつを雇ったのさ。やつらがどうなったかって? さあ、おれぁ、これは聞いた話だから、どうなったかなんて知らねえな」

 

 

オッドバーグ船長は、昔話を思い出しながら、双眼鏡に目にあて、火口付近をなめまわすように見た。もしかすると、その穴がまだあって、毒を塗られた新たな宝箱が眠っているかもしれないではないか?

だが、どこを見渡しても、穴はなかった。オッドバーグ船長は内心がっかりしたが、それを少しも態度に出さず、静かに双眼鏡を降ろした。

「いくぞ」

船長は短く言うと、山を下り始めた。ムムベをのぞいた船員たちは、どうしてこんなつまらないところに来たのかと不思議に思ったが、そのことを口に出すものはいなかった。それは、全員が船長を信頼していたからだった。

 水夫をかねたオルグラントは空想好きで、船長がこの島に寄ったのは、この島に寄らずあのまま進んでいたらぶつかっていた大竜巻をさけるためなのだろうと思い込んでいた。

「残念でしたな、船長」ことの真相をうすうす感づいていたムムベが言った。

「なんのことだね」

船長はうそぶいた。だが、今回も、ムムベの言うところに間違いはなかった。本当にあと一歩だったのだ。というのも、穴は実はあったのだ。

その穴は、船長が双眼鏡をのぞいていた、ちょうど真下にあって、ぽっかりと口を開けていた。穴の中はひっそりと暗く、毒を塗られた宝箱が、だれかが開けるのをじっと待っていた。

 

 船長は、物思いにふけりながら歩いていた。すると、突然地鳴りがして、地面がガタガタとゆれ出した。

「逃げろ! 噴火するぞ!」

 ムムベがさけんで走り出した。だれも、噴火をぐずぐず待ってたりはしなかった。乗組員と船長は、坂道を転げるようにかけ降りると、船へと乗り込んだ。

「出航!」

 船長がそういったときには、ボボ・ローグッツ島はグラグラ噴火を始めていた。

ムムベが火山を指さすと、一同はほんのわずか手を止めてそちらをみた。火口から、真っ赤な溶岩がふき出している! さすがのオッドバーグ船長も、背筋がスーッと冷たくなった。

「いかりはまだあがらんのか! ぐずぐずするな!」

 船長は今や自らいかりをあげるのに加わっていた。じりじりと時が流れ、あせりが頂点に達したころ、ようやく船が動き始めた。ムムべは額の汗を手の甲でぬぐうと、服になすりつけた。

 火山がまた勢いよく噴火して、海岸にまでゆれが伝わり、波が立った。

「石に気をつけろ!」

 船長がそうどなるや、こぶしほどもある真っ赤な溶岩が、甲板に降ってきた。石はしゅうしゅうけむりをはいて燃えている!

「急げ、全速前進!」

 まったく幸いなことに、今は追い風だった。帆をめいっぱいに張った白波号は、沖に向かってぐんぐん泳いでいった。火山島がだんだん小さくなっていく……。ムムベがほっとため息をついた。危機を脱したのだ! 一同は、わぁーっと歓声を上げた。

「喜ぶのはまだ早い。おい、誰かスコップを持ってこい!」

船長が、床底の石を見ていった。石は、船の床に穴をあけたのだ。すぐに、オルグラントが船室へ走り、スコップを持ってきた。船長はスコップを両手に持って、慎重に穴へ入れると、赤く怒った石を取り上げた。

「よし。水を流せ」

黒いこげを残す穴の底に、海水が念入りに流し込まれた。船長は、溶岩の乗ったスコップをつかんだまま、わずかな火が消えるのを見届けると、こんどは厨房のほうへ歩いていった。

「船長、そいつをどうなさるんで?」

コックのオギが、びっくりして聞いた。

「おまえもこい。おれはこいつで卵を焼いてやるのだ!」

オルグラントは、目を丸くした。ムムベは、あいていた口を閉じ、ムニャムニャとやってから、クックッと笑った。だが、船長は足早に厨房へと歩いていってしまった。

 オギがあわてて厨房へ入ると、船長は止める間もなく、溶岩をかまどへ放り込んだ。

「卵はどこだ? よこせ!」

 船長は、何かに取りつかれているようだった。オギはおそろしくなって、卵をあるだけ渡した。すると、船長は卵をみんな割ってボールに入れると、かきまぜた。

「鶏肉はあるか?」

「へい、あります」

「よし、そいつを切ってフライパンへ入れろ」

 オギと船長は協力して料理に取り掛かった。溶岩はやがて周りの炭を熱くして、かまどの中はぼうぼう音を立てて燃えた。

「今かじを取ってるのは誰だ? まあ、だれでもいい。そいつに、進路を北北西にとるように伝えてくれ」

「わかりました」

 オギは、ふと、船長の声がずいぶん落ち着いてきているのに気づいて、安心した。船長は、再び巨大なオムレツを作ることに集中し始めた。そして間もなく、進路が北に向いたのを感じ取った。

 船長は、オムレツを皿に移した。しばらくして、油をうっていたオギが戻ってきた。「お前も手伝え」

「へい」

 オギと船長は、オムレツを甲板に持っていくと、男たちはもう、めいめいの椅子に座り、今か今かと待っていた。船長は、テーブルにオムレツをおくと、用意されていたイスに腰を降ろした。

「諸君、礼を言おう」

オッドバーグ船長が、真剣なまなざしで重々しく言うので、みんなは驚きの顔で船長を見た。船長は続けた。

「まったく幸運だった。俺たちは、今頃どうなっていたか知れやしないが、今回だけではない。こんなことが幾度となくあったんだからな。だが、俺たちは波を乗り越えるように、いつもそれを乗り越えてきたし、これからだってそうだ。なにしろ、俺たちは、旅が、冒険することが生きがいなんだ……そうじゃないか?」

 わぁーっと拍手が起こり、さすが船長! と声が上がった。火山島のことは素晴らしい冒険の一つとなっていた。

「俺たちは冒険が好きだ。だからこそ、魂をがけ下に投げ捨てるようなことをしてはならんのだ。なにしろ、まだ見ぬ島が、星のようにある。おれは、それを見たいのだ!」

船長は、燃えるようなまなざしで遠くを見つめながら、どん! とこぶしで机をたたいた。

「まったくその通り!」オルグラントが感極まってさけんだ。

「それでは乾杯しよう。俺たちの冒険と幸運に!」

「冒険と幸運に!」

男たちは、酒を飲み干すと、オムレツをほおばった。みんな、この上なく満足だった。そして、火山島の真っ赤な溶岩のことを、がやがや話し始めた。なにしろ、火山島はいつもさけていて、今回初めて上陸したのだ。

「あんな地獄のかまのようなものは、今まで見たことがない。私は確信を持って言いますが、あそこに落ちたものを助けられる見込みはまずないでしょう」と、船医ツオールが言った。

「ほんとに……おれ、落ちなくてよかった!」

オルグラントが言うと、みんなが笑った。

「だけど、船長はどうしてあの島へ行くなんて言ったんですか?」オギが、おずおずとたずねた。

「それは、海賊の宝の話を思い出したからだ」

船長は、あっさりと答えた。一同は、海賊の宝と聞いて、身を乗り出した。オッドバーグ船長は、その昔、オブ船長から聞いたことを、みんな残らず話した。

「へええ! とすると、どこかの火山島に、まだその穴は残っているっていうわけですかい?」オギが感心していった。

「そうだろう。溶岩でふさがってなければの話だが」と、その穴の上に立っていた船長が言った。

「おれ、オブ船長からそんなこと、ちっとも聞かなかった」オルグラントがしょげた。

「まあまあ。みんなそうさ。それに、今聞いたからいいじゃないか」と、ツオールがなぐさめた。

「でも、どうして、火山島につく前に、教えてくれなかったんですかい?」と、オギが聞いた。

「そりゃ、誰かがのぞきこんで、落っこちたりしたらかなわんからな」

オッドバーグ船長は、ムムベに目くばせして、にやっと笑った。

 それからの旅は長かった。南では夏だという頃になって、白波号はようやく、雪大陸に上陸した。ムムベは上陸するなり、大きなくしゃみをして、がたがた震えた。南の群島で暮らしていたムムベには、あまりにも寒すぎたのだ。ムムベのとなりに立っていたツオールは、おやおやというように、さっそくムムベのおでこをさわった。

「ふむ、熱があります。こりゃ、寒さにやられましたな」

ツオールは、足元のさらさらした雪をなぞるようにすくった。雪はとけずにふわふわと飛んでいった。

「情けない奴だ!」 船長かなじるように言った。そのくせ、ムムベを笑うものはいないか……と、ギロリと皆を見回した。

 男たちは、だれも笑わなかった。船長は、自慢のひげをなでつけてから、望遠鏡をふところから取り出した。もっとも、望遠鏡など必要なかった。大陸は地平線の先まで雪におおわれ、見渡す限り平らだったからだ。船長ももちろんそのことには気づいていた。ただ、上陸したときの、いつもの習わしにのっとってやったまでであった。

「風、北風。天気、くもり。人影、なし。動物、不明」

 オルグラントは、りちぎに記録をとった。

「いやあ、何にもないところですね。」

「しかし、あれはなんだ?」

ふと、オギが指を指した。船長は、望遠鏡を目につけたまま、急いでそちらを見た。おかしなものが見える……ぼんやりとだが、確かにある。

それは、巨大な……巨大な……本だなだった。

 

 

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てつおは、左目にあてていた、望遠鏡にするために重ねてくっつけていた両手を降ろした。部屋のすみに大きな本だなを見つけたのだ。てつおは、とても気になって、おしいことだが、想像遊びを中断した。

(あんな本棚あったっけ? どうして今まで気づかなかったんだろ)

雪大陸……シーツに上陸したてつおのひざは、ほこりまみれになっていた。てつおは、ひざのほこりをはらおうとして立ち上がると、ふらついて、ボボ・ローグッツ火山島をふみつけてしまった。

 てつおは、巨人顔負け、雪大陸を一またぎに越えると、本だなの方へ歩いて行った。だけど、それがまた大変だった。本だなの前には、ものがごちゃごちゃおいてあって、とても近づけないのだ。

 てつおは、何が入っているのかわからない重たい段ボールやらイスやらを、根気よく脇にどかしていくと、ようやく一本の道ができた。ひたいには、じんわり汗が浮かんでいる。

 本だなは、てつおが思っていたよりもずっと大きく、思いっきり背伸びして手をのばしても、たなのてっぺんにとどかなかった。ざっと目を通してみると、てつおが今まで全然見たことないような難しそうな本が、ずらずら並んでいる。

 本は、それぞれの大きさできれいに整理されていて、下の段になるにつれて、次第に太く、大きくなっており、一番上の本は手のひらを広げたくらいの大きさだが、一番下は、てつおのひざから足首へ届くくらい大きいのだ。てつおはしゃがむと、その大きな本の中でもひときわ大きく分厚い本を見つけた。てつおは、すぐにこの本を読むことに決めた。てつおは、本の上はじと下はじをつかんだ。そして、みっちりはまった本と本の間に指をねじ入れると、ぎりぎりと本をひっぱった。

じわり、じわり……。本が動き始めた。半分ほど抜けたところで、てつおは本棚に足をつっぱって、勢いよく引っ張ると、本は突然スポッとぬけた。

わあ! バタン!

てつおは思わずひっくり返り、本は倒れてほこりを立てた。てつおはひざをさすりながら座りなおすと、ほこりだらけの表紙を指でぬぐった。

『海の図鑑』とある。

てつおは急に心臓がドキドキし始めた。てつおは、立ちくらみのような不思議な感覚におそわれながら、そっと本をあけた。

そのとたん、目の前に、ゆらゆらゆれる大きな海草があらわれた。巨大な細長い海草が、蜃気楼のように水面に向かってまっすぐ伸びており、長細い葉の周りには、無数の魚たちがまぎれている。

てつおは、あまりの見事さに、ぐっと顔を近づけ、かくれている魚たちをじっくり見た。すると、どうだろう、てつおは今まで写真だと思っていたが、実は、素晴らしく良く描かれた絵だということに気づいた。それも、この本に直接描かれている。

(これは、絵だ……)

てつおは黄色の絵の具をそのままぬりたくったような魚を、指でつつくと、かわいた油絵の具にふれた。まったく、絵だった。しかも、さらによくよく見ると、この絵は決して本物そっくりに書かれているわけではないことに、てつおは気づいた。魚は、だいたんに絵の具をそのまま落としたように描かれているものが多いし、海草の葉には、はっきりと筆で描かれたあとが見て取れた。ところが、それと同時に、魚たちは、ただ絵の具を落としたようであっても、きちんとうろこまで描かれているのもいたし、葉の方にも、微妙な陰影が、筆の強弱や、色のわずかなこさの違いで表現されていた。だから、さっと見ただけでは、本物のように……というよりも、本物以上に本物らしく見えたのだ。そして、じっと見れば見るほど、絵ということを忘れるほど、色鮮やかに見えるのだった。

絵は、見開き2ページにわたり、横長に描かれていた。てつおは試しに次のページをめくると、今度は先ほどとはうって変わって、ページは、細かい文字でびっしりとおおわれていた。

てつおは、読んでみて、すぐにあきらめた。難しい漢字ばっかりだったからだ。

(こんなのずるいや。文字の横にひらがな書いといてくれりゃ、僕だって読めるのに)

てつおは仕方なく、次のページをめくると、カニだった。赤いカニで、甲羅は茶色っぽく、はさみが赤い。海なのか、それとも川なのか、水辺の近くを4匹ほどがよちよち歩いている。その中の一匹は、じっとこちらを見、はさみをふりあげているものもいた。水はすんでいて、涼しそうだ。次のページはやっぱり文字だったが、てつおはページのところどころにアカテガニと書かれているのを目ざとく見つけだした。もう一度めくりなおしてみると、確かに手が赤い。だからアカテガニというのだろう。

その次は、サメの絵だった。が、てつおは最初、何だかよくわからなかった。それというのも、サメは遠くの方にかかれていて、ぼんやりとその影らしきものが見えているだけだからだ。

海はよどみ、その中に一匹のサメがひっそりと泳いでいる……。てつおはぶるっと体をふるわせた。そして、説明書きをちらっと見ただけで、あとは飛ばして、次々とページをめくっていった。

次は、丸っこいきれいな貝で、その次はオットセイ。ラッコ、サンゴやイソギンチャクにたわむれる色鮮やかな魚たち。ブスッとした顔のカサゴや、巨大な渦のようなさんまの群れ、長い手を揺らめかせるクラゲや、砂の上をじっと動かないヒラメ……。

一枚一枚じっくり見ていくうちに、てつおは、何だか海の中にいるような気持になった。

図鑑は、まだ半分もきていなかった。てつおは、ふと、もう一度サメの絵を見てみたくなって、バラッバラッとめくりかえしていった。

(あれ?)

てつおは、思わず手を止めた。今までに見たことのないような絵が、ちらっと見えたのだ。てつおは急いでめくりかえすと……ああ、あったあった、シマシマのヘビが、サンゴの上をするすると涼しそうに泳いでいる。まだ浅く、水面を通った光が、不思議な模様を作り出し、ウミヘビとサンゴの上に投げかけていた。ウミヘビは、こい青とうすい水色のしましまもようで、何かを探しているのか、くねくねと体をねじり、その体の下のサンゴには、同じようなくねくねの影をくっきりと落している。

ウミヘビの、こい青の部分は、そのまま絵の具が落ちたようで、水色の部分は、水をたっぷり含んだ筆で、さっと描かれていた。

てつおは、しばらくじっとウミヘビを見た後、説明書きのページをめくった。すると、一番上に、アオマダラウミヘビと書いてあった。

(アオマダラウミヘビ……。この絵、見逃していたんだろうか)

てつおは、またページをめくりなおすと、今にも動き出しそうなウミヘビを、指でちょこんとつついた。もちろん、ウミヘビはじっとしたままだ……。

 てつおは、ふと我に返って顔をあげると、思わず目を疑った。あたりがすっかり暗くなっているのだ。てつおはびっくりして、ちらっと本に目を戻したが、暗くぼんやりしていて、もうさっきのようには見えなかった。てつおはあわてて本を閉じた。

「てつお! ごはんよ!」

 突然、階段の下からお母さんの声が飛んできた。

「はーい!」

てつおは驚いて返事をすると、目をこらし、わずかに白く見えた帆船の帆を引っつかんだ。そして、わずかにあいていた扉の光を頼りに、なるべくものをふみつけないように歩いて、ろうかへ出た。

(本のことは秘密にしておこう)

てつおは、階段をおりながら、そう決めた。

 

 

 

 その日の晩ごはんはカレーだった。てつおは、カレーが大好きだったが、ざぶとんに座ってカレーを目の前にしても『海の図鑑』のことが気がかりで、上の空だった。

てつおは、カレーを食べてしまうと、皿を台所へ運んだ。そして、ぼんやりと自分の部屋の方へ行った。

『海の図鑑』のことを考えていたせいで、てつおは、部屋へ入るなり、不意を突かれた。まったく散らかったままだったのだ!

(これは、一仕事だぞ)

てつおは、図鑑のことをひとまず頭の片隅に追いやると、勢いよく片づけ始めた。とにかく、布団がしけなければ、今晩寝るに寝られないのだ。

てつおは、一番真っ先にやらなければならないこと、つまり、布団をしけるだけ床をきれいにすることから手を付けた。今までの部屋よりきれいに……なんて言ってる場合じゃない。

 てつおは、床のものをひとまずみんな机の上にのせてしまうことにした。手当たり次第にひっつかんでは、机の上にのせていく。そうこうしているうちに、床が少しずつ顔を出し、それと引き換えに、机の上には、ありとあらゆるものがうず高く積み重なった。

「これなら布団をしけるな」

 てつおはふーっと息をはくと、白波号を山の頂上に乗せた。月の晩に、山に登った帆船というわけだ。

「てっちゃん、お風呂入りなさい」

「はーい」

てつおは、クローゼットから布団を出してしくと、まあまあ満足して、着がえを持ってお風呂に向かった。

 お風呂に入りながら、てつおは海の図鑑のことを考えていた。まぶたを閉じると、幻のように、しましまのウミヘビがゆっくり泳いでいる姿が浮かんでくる。

(海に行けば、本当にいるんだろうか……)

てつおは、あんな図鑑があの部屋に隠されていたとは、今までちっとも気づかなかった。

(ひょっとすると……。ひょっとすると、僕はすごいものを見つけたのかもしれないぞ。そうだ、オッドバーグ船長だって、あんな奇妙な図鑑は持っていないに違いない)

てつおはこう考えるとうれしくなって、それから急に、山の上に残してきた白波号が気になってきた。もし山から落ちるようなことがあったら大ごとだ。

てつおはザバッと湯船からあがった。肩から下は、ゆでダコのように真っ赤になっている。タオルでサッとふいてパンツをはくと、部屋のドアを勢いよく開けた。大丈夫、白波号は山の上で、静かに難破している。

 てつおは、念のために、白波号を山の上のおもちゃのすき間に軽くうずめると、ゆうゆうとパジャマを着かえた。それから、シャッシャッと歯をみがきにいって、いつでも寝れるようにすると、またしても想像遊びを始めた。

 

 

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「おい、どうする。もう三時間もたつよ」オルグラントは、コックのオギに相談した。

「どうするったって、オルグラント、俺たちにできることは何もない。だけど、まさかな……」

 オギが答えて、もう何回目かわからないため息をついた。

「天変地異とはこのことだ。大竜巻で船が持ち上げられて、山に飛ばされるなんて、だれも、夢にも思わんさ」と、船医のツオールが言った。

「だけど、それが本当なんだからなあ……」

オルグラントがまたため息をついた。

「無事だっただけありがたいと思わにゃ」と、ムムベがしゃがれ声でいった。

「なに、無事なもんか。おれ、柱に足をしこたまぶつけて、折れちまったんだぜ」

オルグラントは、包帯が巻かれた右足を見えるように差し出した。

「折れちゃいない。だぼくさ。何度も言っただろう」ツオールが、ひそひそ声でいさめた。みんなは、そっと船長室を見た。船長は、大竜巻の後、船長室から出てこないのだ。

「きっと、考えてるんだ。この船を海へおろす方法をさ……」オルグラントが言った。

「そうじゃ。いつものように……」と、ムムベも同意した。

 オッドバーグ船長は、難破したときや、日照りで水が一てきもない時、解決するのに、よく船長室で考え込んだ。そして、彼が船長室から出てきた時には、そんな問題は最初からなかったみたいに、もう解決されたもおんなじなのだ。

一同は、その時が来るのをいまかいまかと、ちらちら絶え間なく、船長室に目をやっていたのだ。だが、扉は鍵がかかっているかのように、ピクリとも動かなかった。

「ほら、あの時はどうだったっけ。サメにすっかり囲まれた時」と、オギが言った。

「二分で出てきたな」と、オルグラントが答えた。

「海賊どもが水平線のかなたに見えた時は、十七分だった」

「そうだ。それで、やつらをたった五人でやっつけたばかりか、宝はみんな我々のものになった。まあ、私にはこんなものは必要ないがね」

 ツオールは、小指にはまった金とルビーでできた指輪をさすりながら言った。

「そんで今は……」

 その時、船長室が勢いよく開き、オッドバーグ船長が現れた。船長は、懐中時計を取り出して眺めた。

「一時間と七分だ。ちくしょうめ!」

 一同はさっと立ち上がり、オルグラントは敬礼の姿勢をとった。

「だが、ずっと考えていたわけではない。計画は四十分でたった。心配なのは、この計画が成功するかは、運にかかっているということだ。成功の見込みは少ない。だが、再び海に出るつもりなら、これをやらねばならない。」

 船長のいかめしい顔を見て、オルグラントは、ごくりとつばを飲んだ。船長は、話を続けた。

「まず、ありったけの丸太を作って、船底にくっつける。海までの道を、木を切って作るのだ。ここは、高さはあるが、幸い海までは30メートルほどだから、それほど切る必要はない。その道を作るときにできた丸太を、船底へくっつける。とにかく、船がまっすぐ滑るように向きを気を付け、穴が開いたりしないよう、船底を十分に厚くするのだ。そこから、そこに油をたっぷり塗りたくる。ろうでもかまわん。食物庫の、クジラの油を塗るのだ。ここまでが一つ」

 男たちは、うなずいた。

「さて、大体察しはついたと思うが、おれたちはここからすべり降りる。引っ張っていくなんてことはできんし、もうそれしか方法はないのだ。それには、雨が降らにゃならん。土が硬いままだとうまくすべりおりれんかもしれん。雨が降ること……これが二つ目だ」

 船長は、みんなを見渡して、ごほんとせきばらいをした。

「三つ目は、しごく簡単。船がすべり出すように、船首下の土を掘って、船をかたむけるのだ。そして、四つ目、帆をはる。雨が降り、風が出始めた時に、船が動き始めるようにな。そして最後に、ならくに落ちていく時、悪魔に魂をうばわれんよう、体を船の柱なり手すりなりにくくりつける。そしたら、万事がうまくゆく……雨が降り、風が吹き、地面が柔らかくなる。船の荷物を前の方に積めば、地面の柔らかさと荷物の重みで船が傾き、動き始めて滑り降りる! それで、おれたちは、このいまいましい山とはおさらばというわけだ!」

 やんやと拍手が沸き起こった。

「それで、いつから準備を始めるんで?」

「もちろん、今からだ。ほら、これを見ろ」

 オッドバーグ船長は、そういうと、手に持っていた袋から、コンブと松ぼっくりを出した。

「コンブですか。それに、松ぼっくり」

「そうだ。こいつを触ってみろ」

 オッドバーグ船長は、オルグラントにコンブを渡した。

「ひゃ、ぐんにゃりしてますよ」

「そうだろう。それに、このまつかさは、どんどんしぼんできている」

「それが、どうかしたんですか?」と、オギがきいた。

「雨が近いということだ。運が良ければ、雨だけでも動き出すかもしれん。それに、雨と風は仲がいいからな。さあ、わかったら準備にかかるぞ!」

 それからは大忙し、一同は、船の進行に邪魔しそうな木を切ると、縄を持って船底にしばりつけ、そこにろうと油をたっぷり塗った。かなりの力仕事で、これが終わるころには、もう夕方近くだった。空は、ますますどんよりと曇ってきていたが、ありがたいことに雨は降らなかった。丸太をくくるのがすむと、手に手にスコップを持って、船首下の土をほったが、これがなかなか骨の折れる仕事で、男たちは、手にまめをつくった。

「まったく、えれえことになったもんよ」と、オギが言った。

「もうそれは言うな。そんなことより、ごちそうを作ってくれよ」と、オルグラント。

「そうじゃ、嵐の前にいっぱいやらにゃ」と、ムムベが言った。

「ふん、わかったよ」

オギは、きりのいいところまでくると、スコップをかたづけ、厨房へ向かった。

 男たちは、しばらくしてから、ようやく船の下を斜面にすることに成功した。船の鼻先は浮いて不安定だったが、船長は満足した。

「よーし、船に戻れ」

 ちりぢりにはしごを上ると、オギがごちそうを用意して待っていた。

「魚のチーズ蒸し、味噌煮、刺身だ」

 どれもできたてで、とてもおいしかったが、味わっているひまはなかった。雲ゆきがすっかり怪しくなり、今にも一雨きそうだったからだ。

「さあ、急げ!」

 食べ終わるや、船室のロープをありったけひき出すと、男たちは、めいめいの場所に、体をくくりつけた。しばり終えるころには、もう雨が本格的に降り始めていた。

 オッドバーグ船長は、雨の静けさの中、黒くくもった空をにらんだ。そして、鼻先にみえた帽子を一緒にくくりつけなかったことを、少しばかり後悔した。

 ずずずっ……と、船がゆれ、かたむきだした。

「気をつけろ! 走り始めるぞ!」

 折しも、風が吹き始め、帆が大きくふくらんだ。白波号は、覚悟を決めたコガネムシの様に、じりじりとすべり始めた。成功したのだ!

 このままゆっくり進んでくれたら、どんなにいいことか……と、ツオールは思った。

 だが、山の下り坂はそれをゆるさず、白波号は、次第しだいに速さを増し、泥にまみれた土の上を、ガタガタ不気味な音を立てながら転げ落ちていった。

 ごうおっと風がうなり声をあげ、上を向いているのか倒れているのか、生きているのか死んでいるのか、オッドバーグ船長にはわからなかった。

 ただ、魂だけは落っことすまいと、必死で胸をつかんでいた……。

 

 

 ザザザ、バ、ザーッ!

 

ひときわ大きなゆれが起こって、大きな波が白波号に打ちつけた。耳鳴りがするほどのしょうげきだったが、ほんのわずかの出来事だった。そして、あたりはあっという間に、何事もなかったかのように静かになった。

 船長はそっと目を開けた。白波号の、白い帆が見える。そして、その先には、本物の海が……。

「助かったぞ!」

船長の声が、甲板を響き渡った。その声で、仲間の多くが目を開けたが、みんなはまだ茫然としている。

 オッドバーグ船長は、山の上を見上げたが、霧に包まれ、頂上は見えなかった。船が転覆しなかったのは、まったくの奇跡だった。

「やった! やったぞ!」

ようやく助かったことに気がついたオルグラントが歓声を上げ、そして、オギが口笛を吹いた。

「わしゃ、逆立ちをするぞ! だれが何と言ったって! おい、誰かこの縄をほどいてくれ!」と、ムムベが言った。

「喜んでほどくよ、ムムベのじいさん!」と、オルグラントが言った。

「ほどくって、そのありさまで?」しばられたままのオルグラントを見て、同じくしばられたままのオギが、にやにや笑っていった。

「そうか、忘れてた! おい、そんならあんたが、まずこいつをほどいてくれよ!」と、オルグラント。

「おれには、できない。見ての通り、何があってもほどけないよう、固く結びつけてしまったからな」

「なに? はっはっは。そんならいいや。ツオール、あんた、たのむ」

「それが、わたしもだめなのだ」ツオールが、すっかりしょげきって言った。

 オルグラントは、あらためて船の上の五人を見渡した。ムムベは暴れ、オギはとまどい、ツオールはしょげかえり、そして船長は……ああ、なんてこった! 船長までも、縄でしばられて、じっとしてるではないか!

「おい、もしや、だれもほどけないのか?」と、オギも気づいて言った。

「それじゃ、おれたちはおしまいだ。 このまま餓死して、干物みたいになっちまうんだ!」

オルグラントが、悲痛な声で言った。

 ムムベがふと暴れるのをやめ、いら立ちと恐怖の静けさが、白波号をおそった。まったく、こんな間抜けなことが起ころうとは、だれが想像できただろうか? オルグラントは、じわじわせまりくる苦難を思い、ぞっと身ぶるいした。

ところが、その時大きな笑い声が、船の中をこだました。オルグラントは、声のした方をさっとみた。オッドバーグ船長その人だった。

「どうしたんです? 気でも違ったんですか?」

 オルグラントは、オッドバーグ船長が、体を船にしばりつけろと命令したことを、忘れたわけではなかった。オルグラントは、あまりのことに、日ごろの敬意も忘れて、笑い続ける船長をじっとにらんだ。

「言葉をつつしみたまえよ、オルグラントくん。さもなきゃ、お前だけ干上がることになるぞ!」

 オッドバーグ船長は、ゆかいな調子でそういうと、手をわずかに動かして、縄の先をつかむと、ひっぱった。

 するとどうだろう、縄はいとも簡単にスルッとほどけ、船長の足もとに重なったではないか!

 船長は、なんでもなさそうに縄をけとばすと、懐からナイフを取り出し、オルグラントの縄の結び目をていねいに切った。

「いったいどうやったんです?」

 オルグラントは手首をしきりにこすりながら、キツネにつままれた顔で言った。

「なに、簡単なことさ。結び方だよ。さあ、こいつでオギの縄をほどいてやれ。さあ!」

オッドバーグ船長は、ぽかんと突っ立っているオルグラントに、赤ん坊でも相手にするように、ナイフをにぎらせた。オルグラントはようやく我に返ると、オギのところへ走って行った。

 こうして、全員の縄がすっかりとれると、みんなせいせいして、ばんざいの声がわき起こった。

「ばんざい! 白波号! ばんざい! 船長! ばんざい!」

雨が甲板をたたき、その中をムムベが踊りまわって、逆立ちした。

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

てつおは、満足してこの想像遊びを終えることにした。一時はどうなることかと思ったが、白波号は無事だぞ! 雨はしとしと降っていた。てつおは、窓の外を見ているうちに次第に眠くなってきた。

 てつおは、押し入れからふとんを出してしいた。毛布の中にもぐりこむと、まぶたは次第に重くなった。

 

ザザザザザ……。

 

 雨がじっと降り続け、時折、風にあおられた大粒の雨粒が、バババッと窓をうった。

てつおは、もう、半分寝かかっていた。と、その時、ガチャッとドアが開いたかと思うと、お母さんがパチッと明かりをつけた。

「なに?」

 てつおは、ふとんに入ったまま、お母さんを見上げた。

「雨戸を閉めるのよ」

 おかあさんは、てつおをまたいで、部屋の奥の方の窓へ歩いていくと、ガチャッと鍵をはずして、窓を開けた。とたんに、雨が部屋の中へ入ってきた。

「ぬれる! ぬれる!」

 てつおが思わず体を起こすと、お母さんは、窓がはまっているところの奥の方へ手をのばして、黒い板のようなものを引っ張り出した。

「それ、なんなの?」

「雨戸よ」

「雨戸って?」

「なんか物が飛んできたとき、窓が割れないようにするの。今日は風が強いから、閉めとくのよ」

「ふうん」

 おかあさんは、雨戸を調べるような目で見ると、もう一枚、奥から引っ張り出した。

「これでよし。ねぐされしないといいけど。早く寝るのよ」

 おかあさんは、窓を閉めて、電気を消すと、すたすた部屋を出て行った。てつおは、起き上がると、窓に近づいた。

 雨戸だなんて、こんなものが窓についているなんて、てつおはこれまで全然気づかなかった。いつもの窓ガラスの後ろに、黒い板がはまっているだけなのに、部屋の中はいつもより暗いようだった。それに、部屋の中が、急に出口のない大きな箱になってしまったようだ。

 てつおは、カーテンを閉めると、またふとんにもぐりこんだ。もう一度雨戸の方を見ると、カーテンがかかっているのに、頼もしいような、おしせまられるような、妙な気持ちになった。雨が雨戸にあたると、いつもと違って、パパパパパ……と聞こえる。

「へへん」

てつおは、天井を見つめた。

「明日は晴れるといいけど……」

 

 ザザザザ……パパパ……ザザザザザ……。

 

 てつおはあくびをすると、雨音を聞いているうちに、いつの間にか眠ってしまった。

 

 

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